時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

歴史を学ぶ理由は地球史上一度だけの‘生物のはじまり’Beginning of Living-existence in the History of the Earth was Only Once

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。

 人類は、なぜ歴史を学ぶ必要があるのでしょうか。その理由は、もしかしましたら、‘生物のはじまり’と関係しているのかもしれません。

 生命体の起源につきましては、単一起源説と複数起源説があるようですが、仮に、生物は枝分かれしながら進化していったという進化論が、正しい理論として観察されているのであるのならば、単一起源説が正しいと考えることができます。その理由は、‘複数の進化系’、もしくは‘時間差の進化系’が存在していないことになるからです。

 生命体とは、‘物体が自律的に動き出した存在’であると言うことができます。たとえどのような単細胞の生命体であったとしても、地球の歴史上、物体が、はじめて生命体として動き出した瞬間があったはずです。仮に、‘生物のはじまり’の瞬間が複数回あったのならば、複数の時点から新たな複数の進化がはじまり、まったく系統の異なる複数の進化系が生じていたはずです。また、原初の生命体が、単細胞から複雑な多細胞へと同じように枝分かれして、同じように進化してゆくようにプログラミングされていたのならば、時間差のある複数の進化系が生じたはずであり、現在、地球上に、アウストラロピテクスがいてもおかしくはないことになります。さらに、現在、目の前で、何度目かの‘生物のはじまり’の瞬間が観測されてもおかしくはありません。

 しかし、現在の生物学は、地球上における生物の進化は、あたかも一本の系図のように、1系であるとしています。観察される進化系が1系である以上、‘生物のはじまり’の瞬間は、地球の歴史上、ただ一度しか起こらなかったはずなのです。したがいまして、この1系の進化の結果生じた唯一の知的生命体、人類は、そのただ一度の‘生物のはじまり’によって生じた唯一無比の存在であることになります。もしかしましたら、‘生物のはじまり’の時点において、その進化の先の先に、人類という知的生命体が生じるように、すでにプログラミングされていた可能性さえあるのです。知的生命体の存在とその存続の理由、すなわち人類が知性を持つ理由を、仮に、理神論において説明できるのならば、知性こそ、神によってプログラミングされていた生物の最終目的地ということになるのかもしれません。

 このことは、人類がつくりあげてきた文明、そして人類を取り巻く自然環境が、かけがえのないものであることを示しています。すなわち、ひとたび文明文化が崩壊し、人類が滅亡してしまうと、やり直しがきかないということを意味しているのです。知的生命体である人類が滅亡してしまいますと、地球上には動物の世界が広がるだけとなります。

 このように考えますと、我々人類は、その築いてきた歴史から多くのことを学び、どのような行動や行為が、文明文化を破壊し、人類を滅亡へと導く結果となるのかを検証し、進むべき道を過またないようにしなければなりません。人類が、その知性を以って、歴史の教訓から多くを学び、よりよき世界を築くことを、神は期待されているのかもしれません。

(次回につづく)