時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

韓国政府竹島公式サイトの真偽パート1

 先日、日本国の外務省は、竹島に関する動画を公開し、国際社会に対して日本国の領有の根拠の積極的アピールを開始しました。韓国政府もまた、海外向けの説明サイトを開設しています。そこで、反証として、本日から、一つづづ、韓国公式サイトの記述の真偽を検討してみることにします。

 韓国の公式サイトは、Q&A方式で構成されていますが、第一回目の本日は、Q1について見てみます。Q1では、質問に答える形で、韓国の官撰文献を列挙しています。列挙されている資料は、1454年の『世宗実録』「地理志」から、1531年の『新増東国輿地勝覧』、1770年の『東国文献備考』、1808年の『萬機要覧』、そして1908年の『増補文献備考』の五書を掲載しており、全て于山と表現されています。この于山国が、現在の竹島ではなく、鬱陵島に近隣に位置する竹嶼であることは、韓国の古地図や古文書における于山に関する地理的説明からも明らかです(既に論証されている…)。もっとも、1770年の『東国文献備考』と1808年の『萬機要覧』には、”輿地志では、于山は日本でいう松島:于山則倭所謂松島也”と記されているそうです。しかしながら、最近、逸失したとされていた1656年の『東国輿地志(輿地志)』が発見されたことで、輿地志は『新増東国輿地勝覧』を転記したに過ぎず、『東国文献備考』の松島に比定する記述は、竹島一件以降、安竜福の虚偽の供述に基づいて、後から加えられた可能性が高いことが判明しています。しかも、1760年から1910年までの朝鮮国王の日記である官撰の『日省禄』の1793年の項には、「臣按本曹謄録 蔚陵外島其名松島 即古于山國也」と記述し(位置関係などから外島が竹嶼であると分かる)、竹嶼が”松島”であると述べているのです。つまり、この記述から、当時の李朝の認識では、竹嶼=松島=于山となり、現在の竹島を認識していないことが分かるのです。韓国政府は、公式サイトにこの『日省録』の重要な記述を掲載していません。

 まずは、Q1から始めてみましたが、15世紀から20世紀までの朝鮮半島の史料に当たってみますと、むしろ、韓国側が竹島を認識していなかった事実が浮かび上がるのです。

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