時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

韓国政府竹島公式サイトの真偽パート6

 韓国政府の竹島公式サイトのQ6は、「朝鮮政府の刷還政策とは何ですか」という質問であり、韓国側の国内政策を問うています。刷還政策とは、倭寇の侵入を恐れて実施された空島政策であり、肅宗王の時代(1417年)から1895年まで続けられたそうです。この設問で、韓国側は、刷環政策では、定期的に官吏を派遣していたのであるから、領有権の放棄ではないことを強調したいようですが、この政策に関して若干調べてみますと、興味深い事実が浮かび上がっています。

 第1に、刷環政策に関する韓国側の史料には、鬱陵島に官吏を派遣したとする記録はあっても、現竹島にこのような措置をとったとする記事はないそうです。

 第2に、1895年まで、鬱陵島さえ渡航が禁じられていたのですから(安龍福も密航者…)、その先遠く92劼粒ぞ紊飽銘屬垢訝歸腓法朝鮮の人々が渡航するはずもありませんでした。

 第3に、1895年に刷環政策を廃止するに先立って、李氏朝鮮は、1891年5月22日に鬱陵島で日本人7名が木材を伐採しているとの報告を受け、日本国外務省に抗議すると共に、副護軍の李奎遠を鬱陵島検察使に任命し、調査のために鬱陵島に派遣しています。調査結果は、『鬱陵島検察日記』として纏められていますが、出発前の高宗との問答でも、”于山島は、即ち、鬱陵島の事であって、松竹島も十里(2辧砲曚瀕イ譴疹島である”と述べています。実際の調査報告書でも、鬱陵島を于山島と記述し、周囲を見渡しても島嶼は見えない、と記しています。つまり、李奎遠は、竹島に上陸してもいなければ、存在さえ、認識していないのです。

 以上に述べたように、刷環政策をめぐる史料に当たってみますと、韓国側が竹島を全く知らず、かつ、施政権も及ぼしていなかった事実がより明らかとなるのです。

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