時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

韓国政府竹島公式サイトの真偽パート9-日本の竹島先占は有効

 韓国政府のサイトのQ9は、1905年の日本政府による竹島島根県編入国際法上の有効性を問うものです。この問いに対して、韓国側は、竹島編入時期が、日露戦争に当たることから、”韓国に対する侵奪過程の一環”であり、国際的な効力はないと主張しています。しかしながら、この韓国側の説明にも、誤りがあります。

 竹島編入のそもそもの発端は、1904年9月29日に、鳥取県出身の中井養三郎という人が、「りゃんこ島(現竹島)領土編入並びに貸下願」を内務、外務、農商務省の三省の三省に対して申請したことに始まります。中井は、願書において、竹島を見つけた時は、「絶海不便の無人島」であったと証言していますが、あしかが多数生息していたことから、1903年ごろから、中井を含む幾人かの日本人が、あしか漁の事業を始めます。

 しかしながら、過当競争やあしか資源の枯渇を懸念した中井は、あしか事業の貸下げを企画します。当初は、朝鮮半島沿岸の海図(日本海軍が1896年に作成した「朝鮮全岸」か…)から、朝鮮領と思い込み、大韓政府に申請をしようとしたそうです(1876年の日鮮修好条規により、日本国による沿岸の測量が認められていた…)。ところが、農商務省の同郷の官吏に相談したところ、竹島には、朝鮮政府が施政権を及ぼしている痕跡がないと説明されたため、中井は提出先を変更し、当願書を上記の三省に提出したのです。このとから、1904年の時点で、日本国政府は、既に、竹島が、朝鮮領ではないことを確認していたことが分かります。韓国は、日本の侵略性を強調していますが、中井の証言によれば、申請に対して、日本側の内務省は、日露戦争中であったため、むしろ、消極的であったそうです。

 この願書には、リャンクール訛って”りゃんこ島”と記されておりますが、政府は、閣議決定するに先立って、島名について島根県に相談しております。この問い合わせに対して、当時の隠岐島司であった東文輔氏は、”欝陵島は竹島と通称するものの、その実は松島であって、海図を見ても瞭然である。…よって、従来、誤って称した名称を転用して、竹島の通称を新島に冠するべである…”と具申しております。ここに、松島⇒竹島となり、江戸時代の名称が、島名の交換という形ではあれ、今日に引き継がれのです。1905年1月28日に、桂太郎内閣において閣議決定がなされ、同年2月22日に、島根県知事が、竹島島根県の所管となることを告示します(「島根県告示第40号」)。

 以上の経緯に見るように、竹島は、国際法上の無主地先占の要件を充たしており、かつ、江戸時代の領有を再確認する形で島根県編入されました。むしろ、第二次世界大戦後に、武力を以って竹島を占領した韓国の行為こそ、国際法に違反していると言わざるを得ないのです。

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