時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

昭和天皇の終戦の御詔勅を否定した村山談話

 本日12月8日は、第二次世界大戦への参戦を決定づけた真珠湾攻撃が行われた日です。この戦争は、1945年8月15日に、ポツダム宣言の受託を表明したことで、事実上、終戦を迎えますが、村山談話とは、昭和天皇の御詔勅の否定ではなかったかと思うのです。

 村山談話とは、先の大戦を日本国によるアジア諸国に対する侵略戦争と見なし、戦争の全責任を日本国に負わしめるものです。しかしながら、当時のアジアを取り巻く状況を観察してみますと、中国は国家の体を成さない分裂状態にあり、東南アジア諸国の多くは、西欧諸国の植民地支配下にありました。韓国は、と言えば、1910年の併合条約により、日本国の一部として近代化の道を歩んでいたのです。こうした状況を考慮しますと、先の大戦は、単純、かつ、乱暴に”日本国の侵略戦争”とは言えないはずです。当時の状況を最もよく知る昭和天皇は、終戦の御詔勅において、「抑々、帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かざる所、曩に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し、領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず。」と述べ、明確に侵略戦争を否定されておられるのです。

 村山談話は、昭和天皇の御詔勅を真っ向から否定し、総理談話という形で先の大戦に対する日本国の戦争解釈を変えてしまいました。当時の状況を詳細に分析し、事実を丁寧に検証してゆきますと、昭和天皇の御詔勅の言葉の意味が、再び、歴史として蘇ってくるのではないかと思うのです。

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