時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

東京裁判よりも酷い”慰安婦問題”の政治決着

 68年前の東京裁判については、勝者が敗者を裁く政治裁判として、既に数多くの欠点が指摘されております。ところが、慰安婦問題については、戦後、半世紀ほどが経過した時点で提起されたにも拘らず、この問題に対する対処は、東京裁判よりなおも酷いのではないかと思うのです。

 東京裁判は、形式的ではあれ、一般の訴訟手続きを踏襲しています。被告人には発言権が認められており、弁護人も付けられました。確かに、判決の内容は連合国側に著しく偏ったものではあり、連合国側が裁かれることはありませんでしたが、そこには、近代司法の外面を整えようとする姿勢は伺えます。一方、慰安婦問題は、人道上の罪を根拠として、東京裁判の枠外において提起されました(韓国側は、日韓請求権協定の枠外とも主張…)。戦時中における他国の国家犯罪を問うのですから(今のところ、遡及的に国家犯罪を問う国際法はない…)、問題の本質上、当然に司法の形式を採用すべきはずです。ところが、何故か、被害を主張する側の言い分だけが喧伝され、その挙句、「河野談話」という日韓合作の政治作文によって、日本国側の罪が確定されたかの状態に至ってしまったのです。

 戦後、半世紀も経ては、東京裁判等の反省から国際裁判もより制度的に洗練され、証拠裁判主義の下で中立性や公平性が高まるはずなのですが、現実には逆方向に向かい、裁判方式そのものが放棄され、証拠なき政治的な決着によって、日本国は罪を被せられてしまいました。今からでも遅くはありませんので、日本国政府は、この問題を処理の仕方の誤りを訴え、政治的に造られた冤罪を晴らすべきと思うのです。

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