時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

我が国の3・4世紀は諸勢力の分裂状態

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。今回のテーマも、日本書紀紀年法のプラス・マイナス120年構想についてです。

 前回の1月14日付の本ブログ記事におきまして、「189年間を扱っているという視点から、神功紀を検証しなおすことで、我が国の3世紀と4世紀の歴史的な経緯が浮かび上がってくる可能性が開けてきた」と述べました。では、神功紀のマイナス構想から、3世紀と4世紀におけるどのような歴史的経緯が浮かび上がってくるのでしょうか。

 まず、第一に、3・4世紀における我が国のまとまりは、緩いものであったことがわかってまいります。巻9神功紀は、‘天皇’ではなく、摂政であった神功皇后のための巻です。このことから、『日本書紀』の編纂者は、神功紀が扱う西暦201年から西暦389年までの189年間は、‘天皇不在’の時代であると捉えていたことになります。換言いたしますと、‘天皇不在’の時代は、189年間という長期に及ぶものであったことが、わかってくるのです。

 事実、神功紀には、「魏志倭人伝」が引用されておりますが、その「魏志倭人伝」からは、3世紀前半の我が国は、倭諸国30ヶ国からなる「女王国」と、その他の倭諸国からなる「狗奴国」によって2分されていたことがわかります。「女王国」と「狗奴国」とは、戦争にまで至っていたのです。すなわち、我が国は、一国家として統合しておらず、分裂状態にあったと言えます。

 『日本書紀』は、‘天皇’を、第一義的には、‘国家統合の象徴としての神祇祭祀王’として定義しておりますので、神功紀を‘天皇不在’として編纂することによって、こうした分裂状態の我が国の3、4世紀史を、後世に伝えようとしたと推測することができるのです。

(続く)