時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

竹島日本領の江戸時代地図-追い詰められる韓国

 竹島問題について、日本国政府によるICJへの共同提訴を頑なに拒んでいる韓国。その理由は、”歴史的にも法的にも疑いのない韓国領”ということなのですが、この言い訳、もはや通用しない段階に来ております。

 本日の新聞では、各社とも、島根県竹島問題研究会が竹島を日本領として描いた江戸時代の地図5点を公表したことを記事として掲載しておりました。時期的には18世紀か19世紀に作成されたものであり、竹島(旧松島)のみならず、鬱陵島(旧竹島)をも日本領として描いております。このことは、日朝交渉の結果、1696年1月に幕府が鬱陵島への渡航を禁じた後も(現竹島は、交渉の議題にもなっていない…)、日本国側では、両島を日本領と見なしていたことが分かります。幕府は、鬱陵島についても正式には朝鮮領とは認めておらず、これらの地図でも、日本領として描かれたのでしょう。ところで、韓国側は、1882年に鬱陵島の空島政策を放棄し、翌1883年には、日本国は、朝鮮側の要望を受け入れて、日本人の鬱陵島渡航を禁じています。また、1900年には「勅令41号」で鬱陵島に鬱陵郡を敷き、竹島(附属島の竹嶼)と石島(観音島?)を管轄しました。これらの一連の経緯において、日本国側は、韓国側に対して鬱陵島の領有権を主張しておりません。仮に、当時の日本国政府に領土的な野心があったならば、この時に、大韓に対して強硬な手段をとったはずです。一方、1905年に日本国が竹島島根県に領土編入した際には、韓国側は、”独島”に関する調査を鬱陵島の郡守に命じながら、日本国政府に対して何らの抗議も行いませんでした(今日のように石島=竹島とも主張していない…)。第二次日韓協約により、外交権を奪はれていたと主張していますが、他の案件では、韓国側は日本国に対して外交上の要求を行っていますので、韓国政府の沈黙は、竹島を日本領と認めていたことを意味しています。

 竹島を日本領とした描いた江戸自体の地図はこれらが最初の発見ではありませんが、竹島については、日本国による実効支配の実績と証拠は数えきれないほどあります。日本国の外務省も竹島動画で国際社会に事実を伝えておりますので、韓国は、国際社会において既に言い逃れができない状況にあることを自覚すべきではないかと思うのです。

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