時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

韓国政府竹島公式サイトの真偽パート3

 韓国側の竹島公式サイトのQ3では、古地図に関するものです。韓国は、伊能忠敬の測量図に竹島が含まれないこと、並びに、長久保赤水の「改正日本輿地路程全図(1791年)」を挙げて、日本領ではなかったことを主張しています。

 伊能忠敬の測量図に関しては、忠敬が高齢となったため、山陰地方の測量については、弟子の手に任されています(なお、伊能図の中図と小図には、隠岐島の近海に”桂島”という名の島が描かれており、竹島ではないかと話題になっているそうです)。また、伊能忠敬の測量図である「大日本沿海輿地全図」は、官撰の地図というよりも、個人的に始められた測量を、後に幕府の直轄事業としてものであり、近代的国際法における日本国の領域を明確することを目的としたものではありませんでした。

 長久保赤水の「改正日本輿地路程全図(1791年)」については、韓国のサイトには、記述に誤りがあります。両地図とも、竹島鬱陵島)の横に、先日Q2に関して紹介した『隠州視聴合記』の一文、「見高麗猶雲集望隠州」が添え書きされているのですが、韓国のサイトでは、この添え書きを、松島(竹島)の説明文と錯誤するように記載しているのです。実際には、竹島鬱陵島)の脇にこの文章が置かれているのであり、昨日、Q2に関連して指摘したように、隠州の最北西端が竹島鬱陵島)とする見方を裏付けています(日本国側から朝鮮半島を眺める視線…)。地図の彩色が日本本土と同じ色ではない、とも主張されていますが、原図では、両島とも隠岐島と同様の黄色で彩色されているそうです。また長久保の地図以外にも、竹島と松島を記した地図は存在しており(1849年の「嘉永新増 大日本国郡輿地全図」…)、長久保の他の地図でも、竹島も松島も、日本領として明確に彩色された地図があります(「亜細亜小東洋図」・『唐土歴代州郡沿革地図』)。なお、最近、韓国のサイトに掲載されている地図よりも10年ほど以前に遡る、1760年代の長久保による地図が発見され、この地図にも、竹島鬱陵島)と松島(竹島)は、日本名で明記されています。

 以上から、日本国側が、江戸時代において、竹島鬱陵島)のみならず、松島(竹島)を正確に認識していたことは明瞭です。一方、韓国側の地図には、竹島を正確に記した地図は、一切、存在していないのです。

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