時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

見直しなき河野談話の再検証作業は無意味

 先日の記事では、河野談話再検証反対論として、”再検証を開始した以上、結論は見直しに決まっているので反対する”という奇妙な意見があることを紹介いたしました。ところが、今度は逆に、政府の方が、再検証はしても見直しは考えていない、と言い出したそうです。

 実のところ、産経のスクープやネット上で公開されている資料等によって、既に河野談話の再検証は国民レベルでは殆ど済んでおり、この談話が、信憑性の薄い元慰安婦の証言に依拠して作成された日韓共同作文であることは、国民の間に知れ渡っております。ということは、日本国政府が、”見直しは考えていない”とする立場を表明すれば、それは、即、国民の期待を裏切ることを意味します。つまり、誰もが分かり切ている結果と反対な結論を出すのですから、国民に対してのみならず、歴史に対しても極めて不誠実な態度となるのです。また、”再検証とは、事実を確認するための作業”とする前提も崩れてしまいますので、再検証作業自体が、無意味なものとなりかねません。

 日本国政府は、河野談話を証拠とばかりに、韓国政府が、国際社会において”慰安婦キャンペーン”を展開し、その結果として、日本国の名誉が深く傷つき、内外の日本人が苛めにあっている現状をどのように考えているのでしょうか。それとも、再検証の結果を別に公表する、あるいは、事実に即した詳細を追加説明することで、事実上、河野談話を打ち消すのでしょうか。何れにしましても、本日の政府の説明では、国民の多くは納得しないと思うのです。

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