時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

伝天武・持統天皇合葬陵の八角形の意味・パート3

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。
 
法隆寺の東院伽藍の金堂の「夢殿」と称される八角形の御堂に安置される救世観音像の謎には、蘇我氏物部氏の問題が関連している可能性につきましては、前回、4月15日付の本ブログで述べました。では、救世観音像は、蘇我氏物部氏のどちらとの関連が強い仏像であると考えることができるでしょうか。
 
救世観音像は、法隆寺の東院伽藍の創建当時から、本尊としてまつられていきた仏像です。このことは、東院伽藍が救世観音像のためにつくられた寺院である可能性を示しています。そこで、東院伽藍の配置に注目してみますと、興味深いことがわかってまいります。
 
東院伽藍は、夢殿を中心として、これを回廊が囲み、その外に伝法殿が配置されているという極めて特異な伽藍配置となっています。この伽藍配置は、中央に塔があって、それを中金堂、西金堂、東金堂の3つの金堂と回廊が囲み、その外に講堂(伝法堂)があるという法興寺式伽藍配置に非常に近いのです。
 
法興寺は、6世紀末に蘇我氏の氏寺として建立された寺院です。法興寺の発掘調査の際に、中央の塔のまわりから鉄の甲、馬具、刀子など、古墳からよく出土するような副葬品が出土して、調査にあたった考古学者を驚かせたといいます。このことから、仏教において、塔は仏陀の御骨の舎利を収める場所であるから、天皇の遺体を仏舎利にみたて、八角五重塔を造ったとする説も唱えられています。
 
すなわち、救世観音像を安置する東院伽藍は、古の豪族、蘇我氏の古墳であるとも言うことができるのです。
 
(続く)