時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

時系列に狂いがある日本国憲法

 日本国憲法の前文は、人類の崇高な理想を掲げた名文でありながら、その極端な理想主義が日本国の安全を危うくしていると再三指摘されてきました。憲法第9条は、この前文を前提としているのですから。
 
 ところで、何故、このような理想と現実との深刻なギャップが生じるのか、と申しますと、その原因は、前文の第二パラグラフにおいて、時系列が狂っているからではないかと思うのです。第二パラグラフの問題の部分とは、第一センテンスの終わりの箇所です。つまり、第一センテンスは「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とありますが、これは、現在完了時制で書かれています(英訳ではwe have determined to preserve …)。一方、以降の「われわれは・・・」から文末の「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」までは現在時制で記述されていますが、将来の理想や目的について述べていますので、内容としては未来時制です。このことは、国際社会には、現実には”専制と隷従、圧迫と偏狭”が除去すべき対象として存在しており、到底、”平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼”できる状態ではないことを意味しています。ところが、現在完了時制の第一センテンスが先に置かれているために、日本国だけが、既にその理想が達成されたものとみなして、戦争や軍隊を放棄していることになるのです。時系列を正しますと、第一センテンスもまた、未来時制であらねばならず、”崇高な理想が実現した暁には、日本国民は、・・・”と続くべきなのです。
 
 時系列に狂いがある結果、現日本国憲法は未来を先取りする形となり、現実の脅威に十分に対応できなくなっているのではないでしょうか。崇高な理想と目的を達成することを誓ったはずの日本国民が、戦争や軍隊を放棄しているとすれば、それは、不名誉な責任放棄以外の何ものでもないと思うのです。
 
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