時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

被選挙制度の改革論:‘よい候補者がいない’原因の分析

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。せっかく、倉西雅子の政治ブログに記事を書かせていただいておりますので、今日は、歴史についてのテーマから離れまして、政治について意見を述べさせていただきます。
 
民主主義にとりまして、普通選挙制度が重要であることは論を待たず、定数是正問題などがしばしば議論の俎上に上っていますが、被選挙制度の問題については、看過されがちです。
 
昨今の国政・地方選挙の投票率が低い原因の一つは、‘よい候補者がいない’という点にあるのではないかと、考えられます。なぜ、‘よい候補者がいない’のかといいますと、そこには、供託金問題があるからではないか、と推測することができるのです。供託金は、国政選挙では、300万円や600万円に設定されており、選挙結果が、一定の条件を満たしませんと、没収されることになります。
 
被選挙権を行使できる年齢層の平均年収を勘案いたしますと、300万円や600万円という金額を、被選挙権の取得時において捻出することには、無理があります。たとえ中高年でありましても、やすやすと捻出できるような金額でもないのです。
 
政治家を志しながらも、知名度の低い候補者が、いきなりその一定の条件を満たすことは、困難ですので、このように供託金が高く設定されておりますと、特に、若い人々や女性には、経済的負担が大きすぎ、国政選挙に立候補することに二の足を踏んでしまうことになっているのです。
 
すなわち、被選挙権につきましては、‘権利はあるけれども行使することができない’という、経済力にもとづいた‘隠れた制限選挙制度’となっていると言うことができるのです。
 
この結果、候補者は、政党助成金を受けることのできる‘○○チルドレン’と称されているような人々、知名度だけはあるタレント、パチンコ業界などからの献金を受けた人々に限られることになり、‘よい候補者がいない’ということになるのです。
 
供託金が設定された目的は、いわゆる‘泡沫候補者’を排除するためであったそうです。しかし、たとえ、選挙公報の紙面が長大となっても、多くの選挙演説を聞かなければならなくなっても、現状を鑑みますと、被選挙制度の改革は、民意を反映したよりよい民主主義を築くために必要ではないかと考えられるのです。
 
(続く)
 
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