時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

集団的自衛権-現行の内閣法制局の解釈こそ不誠実では?

 南シナ海における中国の横暴で侵略的な行動は、台湾、フィリピン、ベトナム・・・と続く対中包囲網の必要性を痛感させております。自国の安全とは、地域の平和なくしてあり得ないのですから、我が国の集団的自衛権の行使の問題は、将来的な展望の下で判断されるべきです。
 
 ところで、今日、集団的自衛権については、現行の内閣法制局の解釈が金科玉条の如くに扱われております。しかしながら、日米同盟における集団的自衛権の役割を考慮しますと、この解釈こそ、正道を逸脱していると思うのです。1952年4月に発効した旧日米安全保障条約では、前文において、「…平和条約は、日本国が主権国として集団的自衛権を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。これらの権利の行使として…」とあります。旧安保条約は、1960年6月に「日米相互協力及び安全保障条約」に置き換えられますが、この際、日本国政府が、敢えて集団的自衛権を行使する権利だけを放棄したとは考えられません。新条約には、確かに”行使”に関する文言は見られないものの、当然のことである故に明記する必要がなかったとする方が自然です。”権利があっても行使できない”とは、詐術的なレトリック以外の何ものでもないのですから(アメリカに対する信義にも反する・・・)。
 
 日本国の官僚制度の弊害として、マスコミは、再三、先例踏襲主義を批判し続けてきましたが、集団的自衛権の解釈についてだけは、目を瞑っているようです。国際情勢は刻一刻と変化するのですから、我が国が的確な対応を採れるよう、現行の解釈の誤りは、即刻、訂正すべきと思うのです。
 
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