時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

‘謀略史観’から今日の政治外交問題を眺めてみる必要がある理由

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。今日も、歴史についてのテーマから離れまして、政治や外交について意見を述べさせていただきます。
 
前回(5月20日付本ブログ)にて、「‘謀略史観’から集団的自衛権の問題を眺めてみれば」というタイトルで、謀略史観から集団的自衛権の問題を眺めてみますと、現在の政府案が、‘最も危険な案’であることを指摘させていただきました(集団的自衛権をめぐりましては、近々、妹の倉西雅子が国際政治学の観点から、本ブログにて記事を書く予定ですので、ご期待ください)。
 
なぜ、謀略史観から今日の内政外交をめぐる諸々の政策を分析することが必要であるのかといいますと、謀略をめぐらす人々の思考回路においては、‘いかにして相手を追い詰めるのか’、という追い詰め戦略こそ上策であるからです。
 
ゲームのチェスにたとえますと、チェスには、‘チェック’というルールがあります。チェスはキングを取られた方の負けですが、自らのキングが、チェス盤のどこにも動くことのできない状態(どこに動いても、対戦者にキングが取られてしまう状態)となりますと、対戦者は、そのような状態となっていることを‘チェック’と言って知らせてくることになっています。そして、通常は、次の対戦者の一手によって、チェックメートとなり、自らの敗北が決定することとなるのです。
 
すなわち、‘どちらをとってもだめ’という状態が、‘チェック’の状態であり、実社会におきましても、謀略者が必勝を望んだ場合には、当然、謀略をめぐらして、相手を追い詰め、‘チェック’のような状態を作り出すはずなのです。
 
例えば、5月13日付本ブログにて、被選挙制度の改革の必要性につきまして意見を述べさせていただきましたが、委託金を高額に設定している現行の制度が、よい候補者を立候補させないという何者かによる謀略であると想定いたしますと、被選挙権制度を改革する必要がある理由がわかってまいります。‘どちらの候補者をとってもだめ’ということになりますと、どちらが当選いたしましても、悪政を敷かれる結果となり、日本国民は、その何者かによって、‘チェック’をかけられているに等しい状態に置かれてしまうことになるのです。
 
このことは、‘チェック’をかけられる前に、謀略者の計画を早期に察知して、対処、対応することが、民主主義を維持し、国家の安全を保障するうえで、きわめて重要であることを示しております。疾病と同様に、‘早期発見’が肝要なのです。
 
‘謀略史観’から今日の政治外交問題を眺めてみる必要がある理由は、世界中のすべての人々が、善良な市民ではなく、追い詰め型の思考回路を有する人々も存在しているというありがたくない事実にあるのかもしれません。
 
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 
イメージ 1
 
 
 
(続く)