時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

豊臣秀吉の朝鮮出兵は中韓の苦い歴史では?

 中国の周近平主席が韓国を訪問した際に、中韓の軍事的協力関係を内外印象付けるかのように、豊臣秀吉朝鮮出兵に際しての両国共闘の歴史を語ったそうです。日本国内のマスコミでは、それほど大きくは報じられませんでしたが、軍事面の協力に言及したことにおいて、中韓両国関係が、新たなステージに進んだことを示唆しています。
 
 ところで、慶長の役における日本軍の撤退は、中韓にとりましては”輝かしい勝利”なのでしょうが、この撤退、史実としては、秀吉死去を機に、日本側が戦争継続の意思を失ったことによるものです(『明史』にも、明と李氏朝鮮には勝算はなく、関白の死により終息したと記録されているらしい・・・)。歴史の粉飾にかけては両国の上を行く国はなく、朝鮮出兵を誇られても、日本国側としては怪訝なだけです。しかも、この出来事は、その後、両国が歩んだ歴史を考えますと、決して誇れるものでもありません。何故ならば、この戦いによって明とその朝貢国であった李氏朝鮮の弱体化が明白となり、その後、両国ともに、混乱のうちに満州の地に興った女真族(清)に飲み込まれるからです。1636年に李氏朝鮮は臣従させられ、中国でも、1644年の明朝滅亡後、将軍呉三桂が清に投降することにより、清軍が抵抗もなく北京に入関するのです。
 
 中韓共に口を揃えて、”歴史を直視せよ”、と事あるごとに日本国に迫りますが、両国は、史実としての歴史を知っているのでしょうか。歴史とは、一場面だけを切り取とって装飾できるほど単純ではないのですから、過去の経験、そして、因果の連続としての歴史から学ぶべきは、両国なのではないかと思うのです。
 
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