時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:人類は多様に進化した

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。ダーウィンの進化論にもとづき、人類が類人猿から進化したといたしますと、「類人猿に戻りたいか、否か」という質問に対しまして、賛否両論になるのかと言えば、そうではなく、大多数の人々は、「否」と答えるでしょう。その理由は、生物は単細胞生物から多細胞生物へと進化しましたように、通常、進化の方向は、低次元の生物から、より高次元の生物へと進化するものであるからです。類人猿の知能、メンタリティー、生態は、明らかに人類よりも劣っておりますので、誰も、逆方向へは戻りたくはないのです。
 
このように人類が、類人猿よりもはるかに高次元の生物であるのでしたならば、前回のブログでの質問、すなわち、「③人類には類人猿に等しい行動を起こす人々がいる。④人類には類人猿に等しい行動を起こす人々はいない」という③と④のうち、大多数の人々は、④に賛意を示すはずなのですが、おそらくは、③と④の答えを集計してみますと、③の意見が多数を占めるはずです。
 
では、なぜ、現実問題といたしまして、類人猿に等しい行動を起こす人々が存在しているのでしょうか。
 
こうした問題の発生原因は、低次元の生物から高次元の生物への進化の過程におきましては、人類は、単に、均質に高次元の生物へと進化したのではなく、環境を含む何らかの条件や刺激によって、多種多様な種類に分化しながら進化してしまっているという点にあるのではないか、と考えることができます。
 
類人猿には、チンパンジー、ゴリラ、オラウータンなど、様々な種類があるのと同様に、人類にも様々な種類が生じていることは、人種や民族など、人類にも多様性があり、メンタリティーにも違いがあることによって、示されていると言うことができるでしょう。
 
なるほど、人類は、確かに類人猿よりも高度な生物なのですが、その進化の過程における条件や刺激によって多様化し、そしてその多種多様の人類の中には、類人猿のメンタリティーや生態における欠点を克服できていないままに、人類として進化してしまった人々が生じている可能性があるのです。
 
そして、人類の一部の人々が有する克服されえていない類人猿のメンタリティーと生態には、人類そのものの生存や人類のレーゾンデートルをも危ぶませるような欠点がある可能性があるのです。
 
進化論は、人類が抱えている問題を、白日の下に晒してしまっているとも言えるでしょう。読者の皆様には、人種差別発言とも受け取られかねないような文章とはなってしまいましたが、「良薬は口に苦し」という言葉がありますように、正確な診断にもとづく適切な治療法の開発によって、病気を治すことができますように、進化論にもとづく徹底した原因追究は、解決法を見出すための一条の光となるのかもしれないのです。
 
(続く)
 
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