時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

サイコパスを公人にしてはならない

 長崎県佐世保市で起きた女子高校生による同級生殺人事件は、犯人の少女がサイコパスであったとする説が有力です。サイコパスであれば、他者に共感する心や道徳心が欠如しているため、殺人を犯しても、全く罪悪感を感じないそうです。
 
 サイコパスは、しばしばカリスマ性があり、大胆不敵さが他者からは魅力的に映るために、周囲から気づかれることなく出世することもままあると言います(罪悪感がないので、冷酷な思い切ったことができる…)。佐世保の事件は、表沙汰になったことで判明しましたが、実のところ、あらゆる分野においてサイコパスが潜んでいる可能性は否定できません。そして、中でも決してサイコパスが就いてはならない職業とは、公人なのではないかと思うのです。何故ならば、公人とは、他者のために仕事をする人ですから、他者の存在を尊重し、その心が理解できないのでは、公益を実現する職務を果たすことは不可能であるからです。
 
 とは申しますものの、公人にこそ、サイコパスを疑われる人々を多く見受けるのは、私の気のせいでしょうか。サイコパスに権力を持たせることは、犯人の少女に殺人道具を渡すと同じくらい、危険なことではないかと思うのです。
 
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