時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”叱らな教育”とサイコパス

 最近、子供を叱らないで育てる、という教育方法があるそうです。”叱らない教育”とも呼ばれており、東宮家でもこの教育方針を採用しているそうですが、大丈夫なのでしょうか。
 
 ”叱らない教育”とは、親や周囲が厳しく叱ると子供が委縮し、個性や才能が押しつぶされるから、叱らずに伸び伸びと育てるというものです。話して言い聞かせる方が、子供も納得して親の言うことを聞くであろう、と…。しかしながら、物事の良し悪しや自分の行動が他者に与える影響は、自分以外の人から叱られてこそ、知ることができます。悪さをしたり、悪態をつけば、相手から怒りの感情が返ってきますので、子供は、してはいけないこと、そして、何をすれば相手を不快にさせるのかを学ぶことができるのです。しかしながら、”叱らない教育”では、親や周囲は怒りを表に出さずに子供に接しますので、子供は、どのようなことをしても、怒られたり、罰せられたり、相手を怒らせることはない、と考えるようになります。この結果、真正の病的サイコパスではなくとも、極めてサイコパスに近い思考回路を持つに至る可能性があるのです。”叱らない教育”の方針の下で育った子供には、学業優秀なケースもあることから擁護論も聞かれますが、佐世保市で起きた事件の舞台は、県下でも有数の進学校でした。親の社会的地位が高いほど、問題行動が隠蔽される傾向にありますので、他者の痛みに思い至ることのない我儘な子供に育つ危険性も高まるのです。
 
 子供であれ、大人であれ、話しだけで理解するは、物事の善悪を判別する能力を要しますが、叱られることをした時点で、その子供は、善悪の判別能力が未だに備わっていないことを行動で示したことになります。つまり、”叱らない教育”は、解きがたい矛盾があるのです。サイコパスが社会問題化したことを機に、教育や育児方法についても、大いに議論してゆくべきではないかと思うのです。
 
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