時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:類人猿は序列が大好き

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。前回の本ブログの記事(7月29日附)におきまして、‘類人猿の習性から人類の欠点を発見すべし’とする人類に課せられた重要な課題に取り組むべく、類人猿の悪しき習性といたしまして、真っ先に、以下の点を指摘させていただきました。
 
①オスのチンパンジーにとって、群れにおける序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなっている。
 
なぜ、①が、人類の存続にとりまして脅威となるのであるのかと、言いますと、チンパンジーチンパンジーのままである理由、類人猿が類人猿のままである理由が、まさに、①の理由によるからです。
 
序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなりますと、群れのボスとなったオス猿は、 ‘発展development’、‘開発cultivation’、‘洗練sophistication’、‘改良improvement・改善reformation’よりも、自らの地位の維持を優先させることになります。序列第二位や序列第三位のオス猿も同様です。すなわち、チンパンジー社会には、‘理想の世界’を目標とした‘成長’といった概念は無いのです。
 
換言いたしますと、類人猿にとりましては、自らの技能を磨いて社会的貢献を果たすよりも、高い序列にありさえすれば、‘何もしない’のが、‘偉い猿’であることの証となり、‘よいさる生’であることになるのです。「自分の地位が、すべて」、という自己中心主義となっていると言えるでしょう。
 
このような類人猿とは対照的に、人類は、あらゆる分野におきまして、技術革新を行い、よりよい制度の構築を進めて、人類史をつむぎ、さらに、将来に向けましても、より‘理想の世界’に近づけるよう、たゆまない努力を続けております。チンパンジーが自己中心主義であるのならば、人類は、他者協調主義であることになります。
 
したがいまして、進化の過程におきまして、①の欠点を残してしまっている人々の存在は、人類史上、深刻な問題を引き起こしてまいりましたし、また、これからも、引き起こす可能性があるのです。次回は、人類史におきまして、①の欠点が、どのように表出しているのかを、検証してゆくことにしましょう。
 
(続く)
 
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