時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

第二次世界大戦-ソ連に期待した日本国の謎

 昨日、1944年5月の時点で、東条内閣の重光葵外相が、ソ連の仲介で日中戦争終結を検討していたことが、外交機密の公電から判明しました。この新事実、一体、何を意味するのでしょうか。
 
 終戦直後においても、鈴木貫太郎内閣は、ソ連邦を頼りに終戦の斡旋を試みましたので、当時の日本国は、ソ連邦のみを信頼していたことになります。国際法においては、利益代表国制度というものがあり、第二次世界大戦における日本国のアメリカとイギリス等に対する利益代表国は、スペイン、スウェーデン、スイス、ポルトガルの四か国でしたので、これらの諸国ではなく、仲介役にソ連を選んだのは不可解なことでもあります。新聞記事では、日中戦争終結斡旋の狙いは、対米集中にあったのではないか、と憶測しておりますが、満州国のみならず、日本国内の政権中枢部に対しても、コミンテルンの工作活動の暗躍があったことが指摘されておりますので、親ソ派ともいうべき脈が水面下に存在していた可能性もあります。終戦を待たずして冷戦が顕在化してきていることを考慮しますと、敗戦後も、ソ連邦と組んで対米戦争を継続すべし、とする主張が軍部にあったとする見解も、あながち否定はできないかもしれません。背後から両陣営を見えない糸で操つろうとしたのは、コミンテルンであったのかもしれないのですから。
 
 第二次世界大戦とは何であったのか。今後とも、新たな史料が発見される度に、歴史は、再考を迫ることになりましょう。何れにいたしましても、両陣営ともが多大なる犠牲を払った第二次世界大戦の教訓は、より良き国際社会を実現するためにこそ活かされるべきと思うのです。
 
 第二次世界大戦において、数多の尊い命が失われたことを心より悼んで

 八月の 空に遠く 過ぎし日に 斃ふるみ霊よ 永久に眠らなむ

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