時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:「進化論」から内閣改造を眺めてみれば

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本ブログにおきまして、「① オスのチンパンジーにとって、群れにおける序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなっている」、「② 他者から略奪して配る猿が、‘偉い猿’である」というチンパンジー社会における2つの特徴を指摘させていただきました。
 
 昨今の内閣改造問題は、人類と、①と②といった類人猿の悪しき特徴を残している人々とでは、まったく別の問題として見えている可能性があります。せっかく、内閣改造が取り沙汰されておりますので、進化論と人類の抱える問題との関連を示す例として、内閣改造問題を見てみることにしましょう。
 
 まず、人類の視点から内閣改造問題を捉えてみますと、内閣改造とは、よりそのポストに適した人材を登用することによって、国家国民のために、よりよい施策を策定し、施行するための政治的手段であると言うことができます。誰がそのポストに伴う責務と責任を果たすことのできる能力があるのか、といった点に焦点があてられることになるでしょう。
 
一方、類人猿の悪しき特徴を残している人々の視点から内閣改造問題を捉えてみますと、いずれの派閥に属する人物が、どのポストを得ることができるのか、といった点に焦点があてられることになります。誰が、より序列と影響力の高いポストを得て、配下の者に利益を供与することになるのか、といった点が、内閣改造の目的として捉えられていることになるのです。
 
すなわち、「① オスのチンパンジーにとって、群れにおける序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなっている」、「② 他者から略奪して配る猿が、‘偉い猿’である」というチンパンジー社会における2つの悪しき特徴を残している人々の視点からは、内閣改造とは、いわゆる‘ポストあさり’の絶好の機会として映っているはずであるのです。
 
それでは、マスコミ報道は、どちらの視点から、内閣改造を報じているでしょうか?後者の視点から記事を書いていると感じるのは、わたくしだけでしょうか。
 
(続く)
 
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