時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:メスのチンパンジーの悪しき習性の脅威

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。これまで、類人猿の悪しき特徴として、オスのチンパンジーについて観察される習性について述べてまいりましたが、今回は、メスのチンパンジーに観察される習性について指摘させていただきます。
 
昨今のチンパンジーに関する研究によりますと、メスのチンパンジーには、自分の子供と他のチンパンジーの子供とを区別せずに育てるという習性があるそうです。この習性は、一見、博愛主義的に見えます。読者の皆様も、‘メスのチンパンジーは偉い!’と感じるかもしれません。ところが、実は、そうとも言えないのです。
 
それは、このようなメスのチンパンジーの習性は、ボスであるオスのチンパンジーや序列の高いオスのチンパンジーたちが、メスのチンパンジーたちを共有するという習性に起因しているからです。
 
人間社会におきまして、このような自分の子供と他人の子供の区別なくして育てる社会とは、どのような社会となるのかを想像してみますと、そこには、家族という単位の無い殺伐とした風景が見えてまいります。すなわち、人間らしさの一つとして、家族という単位があるわけですが、メスのチンパンジーの悪しき特徴を残した女性たちが増加いたしますと、このような女性たちは、①の悪しき特徴を持つ男性たち、すなわち‘beast’による恐ろしい世界が成立しても、抵抗せずに、当然として受け入れてしまい、人間社会は、実質的にチンパンジー社会となってしまう可能性があるのです(①の悪しき特徴とは「オスのチンパンジーにとって、群れにおける序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなっている」)。
 
そして、歴史上、このような家族という単位の無い社会の実現を奨励した人物がおります。それは、カール・マルクスです。カール・マルクスは、‘女性は男性によって共有されるべきであって、子供はみな社会が育てるべし’と主張しているのです。
 
そもそも、このマルクスの発言は、女性の人権と尊厳を無視した暴論なのですが、マルクスにとっての人類が進むべき方向、すなわち、いわゆる‘理想の社会’とは、実のところ、チンパンジーの世界、すなわち、‘猿の惑星’であったことになるのです。
 
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(続く)