時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

何でも”朝鮮由来説”への反論

 本日も、古代・中世史家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。産経新聞社では、お子様向けに『おやこ新聞』なる新聞を刊行されているようなのですが、本日、そのダイジェスト版として、いくつかの記事が紹介されておりました。その中に、歴史家といたしまして、看過できない所謂’洗脳・すり込み朝鮮史観’とも称すべき、信憑性がゼロに近い説を紹介しておりましたので、反論を書かせていただきます。
 
 問題の記事は、9月14日に掲載されたという都塚古墳についての、70歳の「おじちゃん」と「ウメ」という猫との対話形式記事です。都塚古墳は、ピラミッド形であったことにつきまして、「ウメ」の「エジプトのピラミッドを参考につくったのニャ?」という質問に対しまして、「おじいちゃん」は、「都塚古墳がつくられた時代より、少し古い4~5世紀、朝鮮半島にあった高句麗という国の王の墓「将軍塚古墳」も階段状のピラミッドの形じゃ。だから、古代朝鮮がルーツとの見方があるんじゃ。」と答えているのです。
 
この答えが間違えであることを以下の点から指摘させていただきます。
 
①日本では、2世紀頃より、すでに方形の墳墓はつくられております。特に、出雲地方の四隅突出型方形周溝墓は、よく知られており、階段式の方形の築造形式の代表とされております。階段式の方形の墳墓は、都塚古墳に遡ること、400年ほど前から日本列島でつくられており、高句麗の古墳よりも、日本の伝統的墳墓様式を参考としたと考えられます。
 
②日本には、古墳時代があり、応神天皇領や仁徳天皇陵に代表されますように、全長100mを超す巨大古墳が、3世紀後半から、次々につくられるようになっております。この時代の墳形は、前方後円墳ですが、この前方後円墳も、通常、「4段築造」や「5段築造」と称されておりますように、階段式となっているのです。問題の記事は、あたかも、都塚古墳が、はじめての階段式の古墳であるかのように記述しておりますが、日本には、長い古墳の階段式築造の歴史があるのです。もちろん、古墳時代におきましては、特に、尾張地方などを中心に、階段式の方墳もつくられております。
 
③日本の古墳の様式には、変遷があり、前期では、円墳や方墳の様式で造られ、中期では、大型化するとともに、円墳と方墳をつないだ前方後円墳の様式でつくられるようになります。そして、後期は、再び、円墳と方墳とに分離し、両様式の古墳が多くつくられるようになるのです。都塚古墳の造られた時期は、後期古墳時代に入ります。都塚古墳が、方墳であることは、むしろ、後期古墳の特徴として理解すべきであると考えることができます。
 
①、②、③から、都塚古墳が、参考とする古墳があったのでしたならば、それは、古墳時代という長い古墳築造の伝統に培われた日本の古墳であったはずなのです。
 
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