時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

丹羽氏の”沈黙のらせん”論-説得力を失ったリベラル

 報じられるところによりますと、元中国大使の丹羽宇一郎氏は、”沈黙のらせん”を心配しているそうです。”沈黙のらせん”に陥ることなく、リベラルや革新的な有権者は、より積極的に発言してゆくべきでは、と。
 
 ”沈黙のらせん”とは、ドイツの政治学者、ノエル・ノイマン氏が提唱した仮設であり、「少数派が多数派に押されて意見を言いにくくなり、そのために少数意見が軽視されていくという悪循環」を意味するそうです。しかしながら、この”沈黙のらせん”論は、少なくとも現在の日本国の現象を説明していないと思うのです。リベラルや革新派が発言に消極的になったのは、説得力を失ったからです。説得力喪失の原因としてまず挙げられるのは、インターネットの使用によって、国民が、マスコミのバイアスがかかっていない情報や意見に接することができるようになったことです。中には、マスコミが世論誘導のために必死に隠蔽してきた情報もあります。仮に、事実と正確な情報に即した意見であれば、オピニオン・リーダーを自認してきたリベラル派のこと、論陣を張ることには遠慮や躊躇はしないのでしょう。ところが、たとえ意見を表明しても、確たる証拠と論拠に基づいて論駁されることが予測されるため、自信を失って沈黙していると推測されるのです。
 
 ”沈黙のらせん”論は、ネット普及以前の日本国の言論空間にこそ当て嵌まります。リベラル派が多数派として占拠しており、異を唱えようものなら、袋叩きにあったのですから。今日の言論現状は、ようやくサイレント・マジョリティーが自由に意見を述べることができるようになった点において、正常化へのプロセスではないかと思うのです。
 
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