時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

河野談話の問題2-拡大解釈の余地

 河野談話を読んでみますと、文章作成の基本的な方針が、慰安婦に対する日本国の責任を強調することにあったことが伺えます。本日指摘する第二の問題点は、官憲の関わりについてです。
 
  昨日に掲載した慰安婦募集に関する文章、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、」の後には、「更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。」と続きます。実は、この文章こそ、曲者なのです。何故ならば、この一文には、あたかも国家動員があったかのような印象を与える隙があるからです。指示代名詞のこれは、直前の”事例”にかかると読めますが、文頭の”慰安婦の募集”を指すとする解釈も成り立ちます。通常、官憲の行為は法令に基づきますので、後者の解釈では、国家権力の発動として官憲が関わったとする誤解を生みます。一方、前者の解釈であったとしても、”業者と結託した官憲による違法行為”、あるいは、”元慰安婦証言による”…といった但し書きや説明を付しませんと、誰の意思による行為なのか判然としません。
 
 河野談話は、敢えて文章表現を曖昧とすることで、拡大解釈が可能な余地を残しているのです。日本国=悪の構図で読みますと、”日本軍が20万人もの朝鮮人女性を強制連行した”とするイメージが湧いてくるとしますと、河野談話は、短い文章ながら、相当に作り込まれていると思うのです。
 
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