時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:進化論からの儒教批判

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。前回の記事では、人類を、①類人猿の悪しき特徴が消滅している人々(いわゆる‘まともな人類’)、②類人猿の悪しき特徴を有しながらも何らかの制御が働いており、場合によっては、オンになったり、オフになったりする人々、③類人猿の悪しき特徴を有している人々、という3つのグループに大別しました。
 
②のグループの人々が③のグループに入らないよう、古来より宗教や思想が大きな役割を果たしてきているのですが、逆に、宗教や思想の如何によっては、②のグループの人々が③のグループに導かれてしまうこともあるようです。では、どのような宗教や思想が、類人猿の悪しき特徴を働かせる遺伝子をオンにしてしまう可能性が高いのでしょうか。
 
まず第一に挙げることのできる‘危険な宗教・思想’は、孔子によって説かれた儒教なのではないか、という疑いがあります。その理由は、儒教の持つ以下の‘教え’にあります。
 
1)儒教は、社会倫理を越えて親の立場を庇う
2)儒教は、共食いを容認する
 
一般的には、‘親孝行’というものは、道徳・倫理に適っているのですが、儒教の場合は、社会秩序を壊すほど、極端に親の立場を庇う立場に至っています。例えば、「子は、犯罪を犯した親をかくまうべきである」や「子を殺害して、料理として客人に提供した親は偉い」といった考え方が、孔子の教えから導かれています。これらは、まさに、人類のチンパンジー化を促進させる‘悪しき教え’であると言うことができます。
 
犯罪者が子によって匿われて、検挙できないとなりますと、治安の悪化は否めません。警察官もまた、儒教思想に洗脳されてしまいますと、犯罪者を見逃してしまうことになります。このような社会におきましては、誰も、犯罪被害者を救うことができなくなってしまうのです。また、「子を殺害して、料理として客人に提供した親は偉い」といった孔子の‘危険な教え’は、生存権も含めた子の基本的人権を全く無視しております。言い換えれば、親は、子を殺害しても、罪に問われないことになりますので、凶悪犯罪が横行する原因ともなるでしょう。
 
すなわち、儒教の教えにもとづいた社会は、‘恐怖社会’となってしまうかもしれないのです。昨今、どこぞの社会・共産主義国家におきまして、「孔子賞」なるものが、創設されたと聞きます。なにやら、‘空恐ろしい’国家体制の出現を垣間見たような気がいたします。
 
(続く)
 
よろしければ、クリックをお願い申し上げます。