時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:今年のテーマも進化論

 
今年も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、本ブログにて、時々、記事を書かせていただきます。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
今年のテーマも、昨年に引き続き、「「進化論」から見えてくる人類共通の脅威」とさせていただいくことになりそうです。それは、もしかしましたら、このテーマは、世界的にも関心の高いテーマであるかもしれないからです。換言いたしますと、私と同じような問題意識を有している人々が、大勢存在しているのではないか、と考えられるからです(その割には、本ブログにおける私の記事の閲覧者は、毎回、200名を越えることはめったいないほど、少ないのですが…)
 
このテーマへの人々の関心が高いことは、日経新聞の書評で紹介された米カリフォルニア大学の人類学・生物化学教授のクリストファー・ボーム博士によって著された『Moral Origins(日本語訳:『モラルの起源』)』が、注目を受けていることによっても示されています(アマゾンの洋書英語版で現在第1位らしい…)。その冒頭の第一章を、「Darwin’s Inner Voice ダーウィンの内なる声」と題しておられますように、ボーム博士は、ダーウィンの進化論を応用した進化生物学的観点から、人類社会に道徳が存在する理由、人類が‘selfish自己中心’を嫌うことの理由を説明することを試みているようです。
 
私は、まだ、この本を読んでおりませんが、ボーム博士の説は、私が本ブログにて、再三にわたって述べてまいりました、人間らしさを規定すると想定されている‘ミラーニューロン問題’とも関わっているようです。
 
ただし、ボーム博士は、‘人類はみな道徳的観念を有している’と規定して、すなわち、決めつけて、自論を展開しておられるところは、気になるところです。私は、逆に、‘人類はみな道徳的観念を有しているわけではない’ことを、むしろ問題視しているからです。したがいまして、道徳的観念を有している人々の存在理由のみならず、道徳的観念が欠けている人々、すなわち、‘野獣(beasts)’が存在している理由も説明するためには、別のアプローチも必要かもしれません。
 
‘人類とは何か’、‘人間らしさとは何か’といった問題を解明するために、現在、哲学、生物学、神学、文化人類学社会学、動物行動学、そして博士のような進化生物学など、様々な学問分野からのアプローチが試みられていると言えますが、その道のりは、まだまだ遠いようです。
 
(続く)
 
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