時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:野獣型人類 beast humanと神様志向型人類god (goddess)-minded humanによる異なる2つの‘理想の世界像’

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。前回1月15日付の本ブログにて、アダムとイブのエデンの東の園からの追放伝説は、‘類人猿から人類の進化evolution from anthropoid ape to human’を意味しているのではなく、‘人類から神様への進化evolution from human to god’の第一歩、を意味している、という仮説を提起させていただきました。すなわち、アダムとイブのエデンの東の園からの追放伝説には、2つの解釈が生じているようなのです。
 
この2つの解釈は、昨年より本ブログにおきまして再三にわたり述べてまいりましたチンパンジー問題、すなわち、進化の過程における枝分かれの結果として、いわゆる‘まともな人類’の他に、チンパンジーと同じ悪しき特徴を有してしまっている人々が、この地球上に‘人類’として存在してしまっているという問題と関わってまいります。
 
チンパンジーと同じ悪しき特徴を有してしまっている人々は、アダムとイブのエデンの東の園からの追放伝説を、‘類人猿から人類の進化evolution from anthropoid ape to human’を伝える伝説であるとする解釈にもとづく人類である、と理解することができます。すなわち、野獣beastである類人猿が進化した先の野獣beastとしての人類ということとなり、人類もまた‘野獣の一員one of beasts’ということになるのでしょう。
 
このような人々を、便宜上、「野獣型人類 beast human」と表現いたしますと、‘人類から神様への進化evolution from human to god’としてこの伝説を理解し、神々の世界をこの世に築くことを目指す人類は、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と表現することができます。
 
そして、「エデンの東の園a garden eastward in Eden」は、まさに、「野獣型人類 beast human」にとっての理想の世界となります。アダムとイブは、まったく何も着ておらず、何も思考せず、何もつくらず、善悪を判断することもなく、盲目のままに、そこにある木々の果物などをひたすら食し続けることで安逸に暮らしております。このような状態は、類人猿を含めたすべての動物beastにとりましては、確かに、理想であると言うことができるのです。
 
動物beastは、ただひたすら‘生きる’ことのみを目的に存在し、常に、食物を求めておりますので、何一つ労せずに、食糧さえ得られれば、‘最も幸せ’であるということになります。また、食物が豊富にあれば、互いに争うこともなく、盲目であれば、よい獲物をめぐる嫉妬や争いもないことになり、‘平和’であることにもなります。エデンの東の園は、まさに、動物にとりましての理想の世界となるでしょう。
 
すなわち、アダムとイブの追放伝説を‘類人猿から人類の進化evolution from anthropoid ape to human’を意味していると解釈してしまいますと、まさに、人類は、「野獣型人類 beast human」でよく、その理想は、エデンの東の園に戻ること、ということになります。
 
その結果、今日でも、カルト宗教家、社会・共産主義者無神論者などによりまして、しばしば、‘原始時代の人類は幸せだった’とする説が唱えられるようになってもおります。
 
 この誤解釈は、カトリックの総本山であるサンピエトロ寺院のシスティナ大聖堂の天井画によって、助長されてしまっているのかもしれません。ミケランジェロによって描かれた天井画の人物たちは、完成当初は、すべて裸体であり、再降臨してくるイエス・キリストの姿も、当初は、裸体であったそうです。『聖書』「黙示録」では、人類は、遠い未来に、悲劇的で悲惨な状況に陥ると預言されているのですが、その救い主として再降臨してくるキリストが、裸体であったというのでは、あたかも、人類の行く末となる‘理想の世界’が、エデンの東の園であるかのような誤解を人々にもたらすこととなります。
 
 さすがに、天井画は、公序良俗に反するということで非難を浴びて、多くの人物像が、お洋服を着するように描き足されるわけですが、まだまだ、裸体的要素が残っております(あるいは、『聖書』を誤解釈しているとする非難もあったかもしれません)。人類の黙示録的世界からの解放が、「野獣型人類 beast human」が理想とする‘裸族の世界’でしたならば、これは、‘悪い冗談’であると、多くの人々が、驚き呆れるか、悲観に暮れることになるでしょう。
 
 ミケランジェロが、何を意図して、このような天井画を描いたのかは、面白い研究課題であり、様々な仮説を立てることができますが、‘理想の世界’問題は、人類にとりまして、いかに大きな問題であるのかが、この天井画問題からも再認識されてくることになるでしょう。
 
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(続く)