時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

人質事件で浮かび上がる左翼系の人々の特徴

 イスラム国(ISIL)」によって引き起こされた人質事件は、この事件に対する態度から、左翼系の人々の思考の特徴を浮かび上がらせています。自らの責任は絶対に問わないという…。
 

 考えても見ますと、左翼系の人々の口から、自らの責任を認める言葉を聴いたことは殆どありません。何らかの問題が起きるたびに、決まって”国が悪い”、”政府が悪い”、”社会が悪い”と糾弾するのです。今回の人質事件にあっても、後藤健二氏が今なお人質としてテロリストに囚われておりますが、左翼系の人々の批判、あるいは、要求の主たる矛先は、日本国政府です。氏の母親も、日頃は”地球市民”を自称しながら、おかしなことに、日本国政府に対して救出を頼んでいるのです(”地球市民”であれば、日本国とは関係が無いはずなのですが…)。左翼の人々に、多くの国民が違和感を感じる理由は、徹底した責任回避の態度にあるのかもしれません。自分たちは、常に”善”であって、悪いのは他者であると…。後藤氏についても、左翼系のマスコミは、ボランティアによる難民救済活動も行ってきた善人のだから、テロリストに屈しても解放されるべき、とする論調が目立ちます。しかしながら、その軽率な行動や、自ら自己責任を語ったこと、そして、テロへの屈服から生じる責任について、一切、問おうとしないのです。

 人質事件は、左翼系の人々こそ、最も政治家として相応しくないことを示す結果ともなったのではないでしょうか。政治とは、結果に対する責任が厳しく問われる仕事であるのですから。

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