時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

憎悪連鎖論の倒錯-”憎まれることはするな”が先では?

 「イスラム国(ISIL)」によって二人の人質が残酷極まりない手段で殺害された件について、メディアやネット上では、憎悪の連鎖を起こしてはならない、とする主張が聞かれます。しかししながら、この意見、順序が違っているのではないかと思うのです。

 憎悪連鎖論とは、被害は酷いものであるけれども、加害者を憎悪することは非建設的であり、差別をも助長するので、相手を憎んではならないとするものです。この事件に当て嵌めますと、人質殺害事件は許しがたい行為ではあるけれども、テロリストを憎んではならない、ということになります。しかしながら、残虐行為や犯罪を憎まない人とは、感情のない少数の人であり、”悪を憎むな”という薦めに従うことは、普通の人間には無理なことです。否、悪を憎まなければ、世の中が良くなることはありません。仮に、憎悪の連鎖を断ちたいのであるならば、”憎まれることはするな”が先なのではないでしょうか。

 ヘイトスピーチ問題でも、兎角に”ヘイトスピーチをするな”と声高に叫ばれておりますが、他者の言論を封じるより先に心がけるべきは、”他者から憎まれることはしない”ということではないでしょうか。憎悪の連鎖を断つ最善の方法とは、悪を許容するのではなく、悪を先に断つことであると思うのです。

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