時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

70年談話の”侵略”問題

 昨日は、70年談話位においては、幾つかの重要な要件を同時に満たす離れ業を成し遂げなければないのではないか、とする問題を提起いたしました。本日から、これらの要件に照らしながら、70年談話について考えてゆきたいと思います。

 本日は、”侵略”という言葉を書くべきか、書かざるべきか、の問題について検討してみます。産経新聞の紙面において長谷川三千子先生が既に言及されておりますように、ヴェルサイユ条約第231条にドイツによる侵略と責任が書き込まれた背景には(War Guilt Clause、即ち、戦争有罪条項と称されている…)、連合国側が、ドイツに賠償責任を負わせる法的根拠を要したという事情がありました。日本国ではあまり知られていないのですが、まるで”刑罰のようだ”とするドイツ国民の反発を招くと共に、この第231条は、ドイツにおいてナチスの台頭を招いた原因の一つとしても長く議論されてきてきました。ですから、迂闊に”侵略”に言及すると、中韓が国策として進めてきた対日賠償請求を勢いづかせることになりかねません。もっとも、サンフランシスコ講和条約にも、日中平和友好条約にも、日韓基本条約にも、”侵略”の二文字はなく、即、中韓に法的な根拠を与えるわけではないのですが、両国とも無法国家ですので、”言質をとった”と言わんばかりに日本国政府に対して攻勢をかけてくる可能性は十分にあります。

 「中韓の無法国家化を助長しない」とする第2の要件からしますと、侵略という言葉は、70年談話には用いない方が望ましいと考えられます。ただし、突然に削除しますと、国際社会から真意を疑われる可能性がありますので、談話の”注釈”として詳細な法的な説明を加えるといった、フォローは必要かもしれません。

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