時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日韓請求権協定の誤解2-日本国の請求権放棄の背景

 先日は、日韓請求権協定の誤解1として、両国の請求権相互放棄の実態は、日本側の補償なき放棄と韓国側の補償付放棄のセットであったことを指摘いたしました。本日は、日本側が、何故、補償なき放棄となったのか、その経緯について説明しようと思います。

 日本国では、あまり知られていないことですが、実は、米軍の進駐で占領下に置かれた朝鮮半島南部では、194512月6日に、占領軍政当局が軍政法令33号を公布したことで、日本政府並びに国民の資産は、一旦、米軍政庁への帰属となったそうです(日本人引き上げ時に大規模な掠奪も起きていますが、実情は不明…)。その後、この日本財産は、1947年9月20日に発効した「米韓間財政及び財産に関する最初の協定」において、韓国政府に移管されました。50年代に至り、両国間での請求権の処理を定めた「日本国との平和条約」第4条(a)に基づいて日韓交渉が開始されますと、韓国側は、これらの措置を根拠に日本国には対韓請求権はないと主張し始めます。一方、日本国側は、これらの連合国の措置は国際法(陸戦ノ法規慣例に関スル規則第46条)に違反するとして反論したため、両国は、日本国が連合国の処分の効力を認めた平和条約第4条(b)に関する解釈をアメリカに求めることになります。アメリカからの回答は、処分を”没収”としつつも、それを認めますと国際法違反となるために玉虫色とならざるを得ず、結局、締結された協定では、あくまでも日本国側の請求権の存在を前提とする表現を採りながらも、アメリカの要望を背景とした、政治的な妥協の産物となったのです。

 この政治的な妥協が、驚くほど韓国に有利であったことは、後日、改めて記事にいたしますが、”日韓基本条約体制”とは、日本側の大幅な対韓譲歩において成立したものであり(今日の韓国による再請求は信じられないほどの強欲…)、韓国や親韓派の識者が認識しているような韓国にとって不当に不利(下位?)となる垂直関係ではありません。この譲歩の背景には、冷戦構造があったことは言うまでもなく、”日韓基本条約体制”とは、日米による朝鮮戦争後の”韓国支援体制”であったといっても過言ではないのです。

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