時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:進化論から見た憲法第9条改正議論

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本ブログにて、進化の結果として、人類には、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」という大別して2種類の人々が存在していることを、再三にわたり、指摘してまいりました。この進化論的問題は、昨今、議論となっております第9条を含む『日本国憲法』の改正問題ともかかわっているのです。
 
その理由は、『日本国憲法』は、‘人類は「神様志向型人類god (goddess)-minded human」のみによって構成されている’という誤認を前提として、つくられた憲法である、という問題にあります。
 
憲法改正をめぐる議論には、改正を望む声として、しばしば、「米国によって押し付けられた憲法であるから」という理由が聞かれます。なぜ、そのような声があるのか、と言いますと、第二次世界大戦時の連合国陣営、特に、米国を中心といたしました自由主義諸国は、戦争の大義として、‘全体主義国家を打破し、自由主義、民主主義、市場主義、基本的人権の尊重という普遍的価値を世界に根付かせること’を掲げていたからであると言うことができます。戦後、制定されました『日本国憲法』は、その大義の通りに、なるほど、自由主義、民主主義、市場主義、基本的人権の尊重を、その基礎に置いた憲法となっております。
 
そして、今日、多くの日本人は、自由主義、民主主義、市場主義、基本的人権の尊重は、大事なことであると認識しているのではないでしょうか。こうした価値観は、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」の目指す理想の世界でもあるのですから。こうした意味におきまして、現行の『日本国憲法』は、‘よい憲法’であると言うことができるのです。
 
米国によって押し付けられた憲法であるのか、否かの問題は、国家理念として憲法においてどのような普遍的価値を掲げるべきであるのか、という憲法の役割の本質的問題からは、本来は、枝葉末節の末節であることになります。人類の普遍的価値として、自由主義、民主主義、市場主義、基本的人権の尊重を国家理念として掲げている現行の憲法は、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」の人々によって構成され、国際協調によって自国の存続を願う国家の憲法として、相応しいということになるでしょう(むしろ、「米国によって押し付けられた憲法であるから」と唱える人々は、自由主義、民主主義、市場主義、基本的人権の尊重という人類の普遍的価値を否定的に捉えている可能性があります)。
 
しかしながら、このような普遍的価値を反映させた憲法であるがゆえに、進化論を踏まえますと、欠点もあるのです。それが、憲法第9条問題であると言うことができるでしょう。第二次世界大戦における連合国側の勝利の結果として、他国の領土を掠奪するために武力侵攻を行うような「野獣型人類 beast human」の国家は、地球上には存在しなくなったという誤認があります。したがいまして、こうした「野獣型人類 beast human」の国家の武力攻撃を想定とした、自国の防衛権が、憲法第9条には明記されていないのです。
 
現実には、「野獣型人類 beast human」の国家は存在しており、我が国は、その脅威に晒されております。日本人の絶滅も想定されえる脅威なのです。したがいまして、防衛は極めて大事であり、集団的自衛権の行使の問題も含めまして、安全保障体制を確立させることは、急務となっているのです。現行の憲法が‘よい憲法’であるだけに、憲法改正には、改悪の危険性もあります。より優れた統治システムを実現するためには憲法改正の必要性は認めることろですが、まずは、国連憲章におきまして、すべての国々は、防衛権が認められておりますので、憲法第9条は、十分に、防衛戦争は認めていると解釈すべきなのではないでしょうか。
 
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(続く)