時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

憲法解釈論争の正体は政策論争

 憲法、特に第9条には、完全無防備論から侵略戦争放棄論まで幅広い解釈が存在することは、本ブログにおいて、再三、指摘してまいりました。解釈のレンジが広いことは、解釈論争とは仮の姿であり、その正体は、政策論争であることを意味しております。

 これまで、日本国では、防衛や安全保障に関する政策や戦略が正面から議論されることなく、憲法解釈をめぐる論争によって代替される傾向にありました。国際協力を要する紛争が発生したり、軍事的な脅威が顕在化するたびに、憲法と政策との整合性が問われ、政府は、世論の賛意を得るためにも、憲法解釈に頭を悩ませてきたのです。一方、野党の側も、憲法違反をアピールすることは、与党の政策に反対し、自党の政策を正当化する都合の良い口実でした。加えて、憲法は、左翼系や反日団体に属する人々にとりましては、日本国の防衛・安全保障政策に制約を課す、願ってもない頸木でもあったのです(世論の激しい批判を受けるはずの外患誘致に値する主張も、憲法を持ち出せば、”正義の声”に聞こえてしまう…)。しかしながら、憲法解釈とは、政策や主義主張を包むオブラートに過ぎません。例えば、完全無防備論者は、日本国滅亡政策の持ち主です。集団的自衛権をも違憲とする論者の多くは、中国の軍事的拡張主義を援け、日本国を弱体化する政策の支持者なのでしょう。あるいは、日本国の軍事力を押さえておきたい韓国や北朝鮮…の代弁者かもしれません。一方、侵略戦争放棄論者は、自国、並びに、国際社会の安全と平和のためには、国際法の許す範囲で、日本国は、防衛・安全保障政策のフリーハンドを保持すべきと考えている人々です。

 政策論争憲法解釈論争によって代替されますと、難解な法理論の応酬となるだけで、肝心の防衛や安全保障における問題の核心が曖昧となり、深刻な誤解が生じる原因ともなります。そろそろ、日本国は、解釈論争を脱して、政策論争を正面から戦わせる時期に来ているのではないでしょうか。

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