時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

軍艦島-朝鮮人合宿主の存在

 韓国にかかれば、東洋の”アウシュビッツ”にまで貶められてしまう軍艦島。何れの国にあっても、炭鉱労働が過酷であったことは紛れもない事実なのですが、韓国が描く軍艦島での残虐物語は、事実なのでしょうか。

 慰安婦問題でも指摘されておりますように、この問題は、民間の事業者の存在を抜きにしては語れないようです。日本国内の朝鮮人労働者は、平時にあっては”出稼ぎ”や”移住”であり、”強制”が問題となるのは、国家総動員法が制定された1938年以降となります。本格的な朝鮮半島での徴用の実施は1944年の9月からであり、1938年から徴用までの期間は、募集や官斡旋によって朝鮮人労働者が集められていました。ILO第29号条約では、たとえ”強制労働”であっても、戦時期の国民の義務としての労働は排除しておりますので、この観点からすれば、手段が募集や官斡旋であっても、1938年から1945年までの朝鮮人の労働は、”強制労働”には当たらないことになります。ただし、朝鮮総督府の末端では(韓国人が多数採用されている…)、相当に手荒な集め方が為されており、違法であったとする司法判断も存在はしています(1997年の長崎地裁の判決)。何れにしましても、朝鮮人労働者に対しては、給与等が支給され、厚生省に残されている未払い賃金のリスト、供託金、年金被保険者台帳、強制預金…などは、その証拠でもあります。また、リンチの報告についても、疑問があります。朝鮮人坑夫の合宿主の大半は、朝鮮人であったからです。ある合宿では、初代の安藤兼造を除いて、李甲襲、巌龍甲、李斗雨の名が見え(また、吉田飯場朝鮮人経営…)、問題となる戦時期にあっては、朝鮮人が合宿主を務めていたのですから、リンチがあったとしますと、朝鮮人内部での事件となります。

 当時の朝日新聞では、朝鮮人労働者は旅館で生活するような厚遇を受けていたとも報じられておりますので、全ての朝鮮人労働者が悲惨な境遇にあったとも思えません。事実の掘り起こしと検証はこれからの作業ともなりますが、朝鮮人合宿主の存在からしましても、当時の韓国人に責任が全くなかったとは言えないのではないかと思うのです。

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