時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

中韓朝の反日思想にも”神の視点”はない

 昨日のブログ記事は、共産主義には”神の視点”、即ち、”客観的な視点”が欠落しているという、倫理上の根本問題が潜んでいることを指摘いたしました。本日は、客観性の有無の検証を、他の思想の評価にも応用してみることにします。

 例えば、中韓朝の反日思想はどうでしょうか(中華思想小中華思想から派生…)。三国とも、日本国を”極悪国家”と見なし、敵意を露わにしております。”悪魔の国”をイメージして訪日してみると、現実の日本の姿に拍子抜けすることもあるそうですが、自らを絶対善とみなし、他者を絶対悪とするスタンスは、共産主義プロレタリアート独裁と共通しております。そしてこのスタンスは、”南京大虐殺”や”慰安婦問題”などにも見出すことができます。自らを相対化した客観的な視点が欠けているからこそ、中国は、毛沢東の国民大虐殺、並びに、チベット人ウイグル人に対する弾圧や虐殺を反省することもなく、韓国も、ベトナム戦争時のベトナム村民虐殺やライダイハン問題に頬かむりをして恥じないのです。事実とは無関係に、常に自分だけが正しいのですから…。こうした思想に中韓朝が染まっている限り、虐殺の被害者は浮かばれません。

 このように考えますと、”神も仏もいない世界”とは、公平で中立的な客観的な視点を欠いた思想が蔓延している社会であると言えそうです。そして、迂闊にこうした思想に同調しますと、自ら”この世の地獄”を招き入れることになるのではないかと思うのです。

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