時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

共産主義が”悪魔の思想”である理由-殺人容認

 共産主義には、”神の視点”、あるいは、”客観的視点”が欠けていることは、先日の記事でも指摘したのですが、もう一つ、共産主義には、致命的な欠陥があります。それは、共産主義が、”悪魔の思想”と称される、もう一つの根拠ともなります。

 マルクスヘーゲル弁証法をプロレタリア革命論、すなわち、一党独裁へのプロセスをロジカルに説明するために応用したことは、抽象論に過ぎなかったヘーゲルの”止揚”を、殺人や虐殺容認の作用に転化する結果を招いています。ヘーゲルの理論では、相矛盾するものの高次での”止揚”は、形は変化してもあくまでも両者の存在を否定しませんが、マルクス理論では、階級闘争史観の中に”止揚”を位置づけたため、相対立するものの”止揚”は、一方のもう一方による抹殺を許すことになったのです。つまり、暴力革命によって資本家階級を抹殺することが、理論的に正当化されてしまったのです。絶対的な存在となったプロレタリアート、すなわち、共産党は、資本家階級に限らず、自らに反対する者を殺害する”お墨付き”を共産主義から得たのであり、この思想は、後に共産党一党独裁体制の下で、国民大虐殺を引き起こします。人類史を省みますと、古今東西を問わず、殺人、暴行、窃盗…といった行為は、普遍的に罪と見なされており、基本的な権利の相互尊重と保護こそ、健全な社会を根底から支える普遍的な倫理です。ところが、共産主義体制では、共産党のみが他者に対する生殺与奪の権を握っており、実際に、国家権力を濫用して多くの国民の命を奪っているのです。

 自己絶対化による他者の殺人容認は、共産主義のみならず、オウム真理教をはじめ、カルトと称される宗教団体や思想集団などにも見られる特徴です。”悪魔の思想”に抵抗しませんと、行く先は地獄といことになるのではないでしょうか。

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