時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

集団的自衛権違憲論への反論その1

 昨日は、安保法案違憲論の論証方法には疑問がある旨を記事といたしましたところ、コメントにて、違憲論への説得力ある反論が必要、とのご指摘をいただきました。そこで、本日より連載で、違憲論に対する反論を試みようと思います。

 違憲論者の第一の主張は、「合憲論者は、しばしば、『憲法集団的自衛権の規定がない』から、合憲、つまり、禁止と書いてないから合憲という論理。しかし、憲法9条には、武力行使やそのため戦力保有は禁止だと書いてある。いかなる名目であれ、『武力行使』一般が原則として禁止されているのだ。合憲論を唱えるなら、例外を認める条文を積極的に提示せねばならない。『憲法集団的自衛権の規定がない』ことは、むしろ、違憲の理由だ。(是々非々様のコメントより)」です。この主張は、合憲論者の反対解釈(法文に書いていないものは許される)に対する批判です。本日の記事は、この主張への反論といたします。

 そもそも、反対解釈は、れっきとした法の解釈方法の一つですので、反対解釈であることを理由に合憲論は完全に否定される、ということにはなりません。しかしながら、違憲論者は、これを認めずに、”「武力行使」一般が原則として禁止されている”と断じて、解釈をめぐる議論を一方的に打ち切っております。まったくもって乱暴なのですが、この独断は、長年議論されてきた重要部分を削除することで、それらしく聞こえます。第9条の条文には、”国際紛争を解決する手段としては”というフレーズがあり、このフレーズの解釈こそが、解釈論争において自衛権に関する最も重要な論点となってきたのです。つまり、”国際紛争を解決する手段”としての戦争は放棄しても、自衛のための戦争、あるいは、法の支配に基づく国際秩序を守るための戦争は放棄しない、とする解釈が成立するからです(実際には、こちらの説の方が有力…)。先の反対解釈は、この条件付き放棄の解釈とセットとなることで、”侵略戦争”を禁じる国際法にも合致します。

 また、反対解釈を批判した上で、違憲論者は、「憲法集団的自衛権の規定がない」ことこそ、違憲の理由と畳み掛けております。この主張も、常識を逸脱しており、反対のための反対としか言いようがありません。何故ならば、個別的自衛権であれ、集団的自衛権であれ、国家が自衛権を持つことは自明の理ですので、憲法に、わざわざこれを明記している国は存在していないからです。憲法に明記が無ければ許されないならば、どの国も、自衛権の行使は違憲となります。あまりに当然すぎることは憲法に明記しない場合もあるのですから、この主張も説得力に欠けます。

 本日の反論はこれまでといたしますが、違憲論者は、日本国民の思考回路を迷路化することで、自らの結論に誘い込むように誘導しているようにも思えるのです。

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