時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

集団的自衛権違憲論への反論その2

 集団的自衛権違憲論への反論その2として、本日は、国際法との関係について述べたいと思います。違憲論者の合憲論者に対する第二の批判点は、「合憲論者は、国際法集団的自衛権が認められているのだから、その行使は合憲だという。しかし、集団的自衛権の行使は、"国際法上の義務"ではない。(是々非々さまのコメントより)」です。

 集団的自衛権は、国連憲章の第51条に明記されており、日本国も、当然に、個別的自衛権とともに、この権利を有しております。しかしながら、違憲論者によれば、この権利は、あくまでも”権利”であって、”義務”ではない、即ち、権利は放棄はできると主張しているようなのです。この問題については、実は、既に『万国時事周覧』の拙稿(7月3日「集団的自衛権が内包する権利と義務の両面性」)で論じておりますので、ここでは、その主要部分を転載いたしたいと思います。

 「…この問題に関する議論では、”権利”と書き表されている以上、誰もが、集団的自衛権は権利の一種であるとして、その前提を疑いません。そうであるからこそ、”自らの決定によって自発的に放棄もできる”とする主張も散見されるのです。しかしながら、自国や自国民に対する義務である防衛義務は憲法によって放棄できるのか、という問題と同様に、集団的自衛権を権利の面でのみ理解するのは、妥当なのでしょうか。集団的自衛権は、国家が”集団”を形成して共同で防衛を行う権利ですので、その行使には、必然的に他国との条約や協定等の締結を要します。ここに、協力を目的とした外部との権利・義務関係の形成という、単独で行使できる個別的自衛権との最大の相違点が見られるのです。このことは、他国との間に同盟条約等を締結する時点、あるいは、集団的安全保障体制に参加する時点で、全ての締約国は、集団的自衛権の行使に必要となる義務をも負うことを意味します。国際レベルにおける権利と義務との両面性こそ、集団的自衛権の特徴なのです。仮に、憲法第9条集団的自衛権をも放棄していると解釈するならば、日本国は、軍事同盟を結ぶことも、国連に加盟することもできないはずです。ところが、実際には、日本国は、講和成立とほぼ同時にアメリカと日米同盟を締結し、国連にも加盟しております。この時点で、日本国政府は、集団的自衛権の行使を国際法上の義務として認め、現行憲法の枠にあっても、集団的自衛権の行使を容認しているのです。この点からしますと、”権利であるから放棄できる”とする説は、国際法上の一方的義務放棄、あるいは、条約破棄の勧めに他なりません。」

 以上のように考えますと、集団的自衛権こそ、まさに、同盟国、並びに、国際社会に対する義務と表裏一体の権利であり、両者を分離することは不可能と言わざるを得ないのです。

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