時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

特攻隊員とSEALDs

 毎年、終戦の日がめぐってまいりますと、国民の多くは先の戦争に思いを馳せます。今年は、特に安保法案が審議されているため、共産党などの左翼勢力は、先の大戦を反対運動に絡めようと積極的に動いているようです。

 ところで、SEALDsに参加している人々は、戦時にあって、特攻隊員として国に殉じた若人達が存在していたことを、どのように捉えているのでしょうか。時代こそ違うものの、特攻隊員もSEALDsも同年代のはずです。彼らの論理からしますと、戦争は日常の”楽しい生活”を破壊する”絶対悪”ですので、戦争に参加した人々は、全て悪の加担者であるか、あるいは、悪しき軍部上層部に騙された犠牲者なのかもしれません。マスコミなどでも、最近、特攻隊は心底からの志願ではなく、半ば強制であったとする報道が目立ちます。しかしながら、こうした報道姿勢も、著しい偏りがあるのではないかと思うのです。人とは、自分と同じ心情を持つ他者の行動はすんなりと理解するものですので、全ての人々が、自己犠牲の精神を持つ人の心を理解するわけではありません。自己犠牲を理解している人々は、自らに似た者に対するシンパシーによって、命を賭して戦った敵国の兵士に対しても尊敬の念を抱くものです。この観点からしますと、SEALDsに対して、極限の状況下にあっては自己犠牲を要する場合があることをいくら熱心に説明しても、彼らは特攻隊員の心情を理解することはないのでしょう。そして、反対から見ますと、SEALDsの行動は、他者の命はどうでもよく、”自分の命が一番大事”という意味において、いかにも利己的で無責任な主張に映るのです(セウォル号の船長のよう…)。それとも、SEALDsもまた自己犠牲を理解しており、中国、韓国、北朝鮮、あるいは、共産主義に殉じるつもりなのでしょうか?

 人間社会には、様々な心情の人がおりますので、同類の思考を持つ一部の人々の偏った見解のみに基づいて全体像を描きますと、事実が著しく歪められてしまいます。せめて自己犠牲の心を理解する人々は、国のそして国民のために尊い命を捧げられた方々に対して、感謝と哀悼の意を表し続けてゆかなければならないと思うのです。

 今日あるも 戦に逝きし 若人の わが身捨つる 覚悟ありてこそ
 
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