時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

オリンピックの商業主義とボランティアの落差

 東京都のボランティアの制服はデザインが不評であり、撤回を要求する声も高まる一方です。にも拘わらず、今のところ、撤回の動きは鈍いように思えます。

 オリンピックがスポーツ興行と化し、商業主義に染まってしまったことは、常々、批判の的となってきました。スポンサーの集め方にしましても、ローカル・パートナーに限っても「ゴールドパートナー」「オフィシャルパートナー」「オフィシャルサポーター」と”ランク”が設定され、ランクによって協賛金などが違うそうですが、巨大な集金マシーンと様相を呈しています(総額で1500億もの資金を集める予定とも…)。放映料も上昇の一途を辿り、2020年の東京オリンピックでは、720億円ほどに上るそうです。大会運営費として使用されると説明されつつも、金満体質に対する批判や組織的腐敗の原因は、この巨額の資金にあります。その一方で、唯一、オリンピックのアマチュアリズムを発揮しているのは、外国からの観客に対する通訳等の案内を買って出た有志の人々です。ボランティアの人々こそ、自国開催の大会を成功裏に終わらせるべく、無償でおもてなしに努めているのです。

 オリンピック精神に共鳴した人々がボランティアとして参加していることを考えますと、制服のデザインのみならず、今日の巨大な利権の闇が見え隠れする状況はボランティアに志願する意欲をも失わせてしまうことでしょう。最近のオリンピックをめぐる騒動は、オリンピックに対する人々の心の持ち方にさえ暗い影を落としかねないと思うのです。

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