時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:進化論から見えてくる民主主義・自由主義制度も「隷従への道」となる可能性

今日は、歴史家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。進化論から人類を観察してみますと、この地球上には、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」が併存していることになるのですが、この併存問題は、民主主義・自由主義を確立、維持するために人類が築いてまいりました制度や法律には、ウィークポイントがあることを示しております。
 
特に、近代以降におきまして、世界の多くの国々では、民主主義や自由主義を具現化、維持するための様々な制度や法律を制定するようになりました。すなわち、民主主義や自由主義といった政治的価値の維持、国民間の基本的人権の相互尊重、国家の安全保障といった課題に対応するために、有能で賢明なる人材によって国家運営がなされるよう、普通選挙、政党制、公職選挙法、三選の禁止などなど、さまざまな制度や法律を整えてきた、ということになります。
 
そして、このような制度や法律は、国民のすべてが、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」であるという想定において、構築されているという特徴があります。しかしながら、「野獣型人類 beast human」も併存しておりますので、民主主義や自由主義といった政治的価値に無理解である「野獣型人類 beast human」にとりましては、このような制度や法律は、‘悪用’の対象でしかないようなのです。

①オスのチンパンジーにとって、群れにおける序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなっている」という性質を有していることを踏まえますと、「野獣型人類 beast human」は、「普通選挙制度」を「不正選挙制度」にしてしまうでしょうし、「政党制」を「猿山制」にしてしまうことになる、と推測することができるのです。
 
さらに、深刻なことは、一国の人口比におきまして、「野獣型人類 beast human」が、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」の人口を上回りますと、民主主義や自由主義を具現化、維持するため築いたはずの制度や法律そのものが、独裁者を生み出す装置ともなってしまうことです。すなわち、‘ボス猿選び’の道具となってしまうのです。民主主義の仮面を被った独裁主義ということになり、こうして撰ばれた‘ボス猿’は、その地位を維持するために、これまでの制度や法律を廃止してしまうかもしれません。
 
進化論から見えてくる「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」との併存問題は、民主主義・自由主義は、制度や法律があれば、必ず存続すると捉えることが、むしろ、危険であることを示しております。「なぜ、民主主義や自由主義世界が、人類にとって、よりよい世界であるのか」、その理由を国民に周知し、理解を促す努力を怠ってはいけない、とういことになるのでしょう。
 
かつて、政治学者のフリードリヒ・ハイエクは、社会・共産主義を「隷従への道The Road to Serfdom」と表現いたしました。進化論から考察してみますと、民主・自由主義も安全ではなく、「隷従への道The Road to Serfdom」の可能性を秘めているのです。
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(続く)