時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

政治家は高潔で有能で国民思いであるべき

 ”政治家は、高潔で有能で国民思いあるべき”と主張しようものなら、失笑を買いそうな今般のご時世です。”誰でも政治家になれるのが、民主主義である”とか、”政治家は、清濁併せ飲む小悪人の方が向いている”といった反論も返ってきそうです。

 しかしながら、政治家をめぐるスキャンダルは絶えず、国民の多くは呆れております。そして、この政治家の質の低下は、日本国の統治レベルの低下をも意味します。日本国を取り巻く国際情勢が緊迫する中、政治家の資質問題は、国民にとりましては、生死に関わりかねない重大問題です。”誰でも政治家論”では、民主主義が根拠に挙げられておりますが、民主的選挙制度こそ、よりよい政治家を選抜するための制度です。

 誰でもよければ、古代アテネのように抽選で選ぶべきであり、有権者が、自らの判断で政治家や政党を選ぶという行為にこそ、現代民主主義の価値があるのです。折角に国民に選ぶ機会が保障されているのですから、国家の存続と発展のために、最も優れた人物を選ぶことが、民主的制度を最大限に生かすことに他なりません。また、”政治家悪人容認”では、当然に、政治腐敗や権力の私物化を防ぐことは出来ません。政府には、国民のために悪を排除する責任がありますので、この役割が弱体化しますと、国民が侵害を受ける可能性も高まるのです。

 実のところ、”政治家は、高潔で有能で国民思いであるべき”とする主張は決して理想論ではなく、選挙に際しての国民が考慮すべき、現実的で合理的な政治家選択基準です(もちろん、これらの他にも様々な基準がありますが…)。アメリカ大統領選挙も混戦状態ですが、日本国もまた、政治家の資質について深く考えるべき時期に差し掛かっていると思うのです。

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