時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「保育園落ちた日本死ね!」の違和感

 児童待機問題に関連して、「保育園落ちた日本死ね!」 という記事が匿名のブログにアップされ、国会でも取り上げられたそうです。児童待機問題の解消は急がねばならない課題なのでしょうが、それ以上に、この表現には違和感があります。

 この違和感の原因とは、表現の過激さと反応の粗暴さにあるように思えます。日本国では、めったな事では他者に対して”死ね”と罵ることはせず、子供がこうした言葉を口にしようものなら、親から叱られたものです。”そんな酷いことをいってはいけなせん!”と。しかしながら、匿名ブログの主は、保育園に通う年齢の子供を育てている、比較的若い年齢の母親のはずです。若いとはいえ母親が、子供にはたしなめるべき言葉を自ら吐いていることに驚きを感じざるを得ません。また、”死ね”と呪った相手が日本国であることにも、違和感があります。たとえ保育園に落ちたとしても、様々な側面で日本国の恩恵を受けているのですから。保育園の落選を、直情的に国家の責任として糾弾する態度は、あまりにも攻撃的ですし、かつ、日本国に対する憎しみすら感じられます。

 マスメディアも野党も、この主張を当然の事のように受け止め、政府批判の材料としているようですが、”日本死ね”の表現に違和感を感じないのでしょうか。幼い子供を抱えた世代が、かくも殺伐とした社会に生きていることの方に、よほど危機感を感じるのです。

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