時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”保育園落ちた日本死ね”の殺伐

 先日は、”保育園落ちた日本死ね”の匿名ブログについて、その言葉の粗暴さについて記事を書きました。本日は、この表現から垣間見られる育児を取り巻く殺伐とした風景について取り上げたいと思います。

 ”日本死ね”というあまりに酷い言い方については、落選の失望からつい感情が爆発してしまった…、として擁護する意見も聞かれます。しかしながら、子供の側からしますと、母親のこの態度は、どうなのでしょうか。保育園に通う年齢は、まだまだ甘えたい時期であり、子供は、なるべく長く親と一緒に過ごしたいものです。また、子供を手元で育て、できることならば、預けたくない親も多いはずです。所得の面からやむを得ずして働かなければならない母親も少なくないのでしょうが、保育園に落ちて子供を預けられなくなったことが、即、鬼の形相で”日本死ね”との暴言を吐くほどの酷いことなのか、と申しますと、必ずしもそうとも言えないように思えます。否、子供が母親のこの言葉を聞いたならば、心を傷つけるかもしれません。邪魔にされているのではないかと…。

 共感する母親たちも多いとのことですが、 ”保育園落ちた日本死ね”からは、母親の日本国に対する憎悪混じりの怒りは伝わっても、子供に対する愛情は感じさせません。たとえ待機児童に関する問題提起の意義はあったとしても、親の子供に対する乾いた心と殺伐とした育児風景を露呈すると共に、これを読む人々の心をも凍らせているように思えるのです。

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