時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

清貧な政治家こそ誇りでは?-舛添知事問題

 ”都市外交”なる造語をスローガンに掲げて海外出張を繰り返す舛添知事。その豪遊ぶりから”大名旅行”とも揶揄されておりますが、江戸時代の大名でさえ、藩の財政や民心を慮り、参勤交代にあっても舛添知事程の贅を尽くすことはなかったはずです。

 さらに驚くことに、舛添知事は、香港の記者の批判的な質問に対して、”トップが二流のホテルに泊まったら、あなたも恥ずかしいでしょう?”といった内容の返答をしたというのです。ここで、この香港の記者には、”二流のホテルに泊まるトップこそ私は誇りに思います”と切りかえしていただきたかったのですが、体面のみを気にする知事の態度は、政治家に清貧を求めてきた日本国の政治文化とも、一般的な民主主義国家の政治倫理ともかけ離れております。日本国の政治文化では、上が範を示さければ下が乱れるとする考え方があり、地位が高いほどに、強い自己規律が求められました。徳川吉宗上杉鷹山などの例に見られるように、自ら質素倹約に努めた統治者ほど、国民が信頼を寄せてきた歴史があります。また、国際社会を見渡しましても、独裁国家のトップならいざ知らず、民主主義国家にあっては、政治家の散在に対しては、常に有権者からの厳しい視線が注がれています。公金が費やされているのですから。因みに、ロンドン市長ボリス・ジョンソン氏は、自転車で都庁に通勤しており、市民から人気を博しているそうです。

 ”何に価値を置くのか”という価値基準に注目しますと、舛添知事の問題は、政治文化の違いをめぐる摩擦として理解することができます。大陸・半島流の知事の政治文化は、体面を重んじ、特権を誇示することをよしとしますが、日本国や現代の民主国家では、堅実で節度があり、気さくな政治家が評価されます。ここは日本国であり、かつ、民主主義国家なのですから、舛添知事は、後者の政治文化に自らを合わせるべきではないかと思うのです。

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