時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”舛添騒動”と『パナマ文書』

 諸外国では、『パナマ文書』が騒動を起こしている一方で、日本国内では、舛添知事の公費乱用問題が話題となっております。この現象については、舛添知事が、敢えて話題を提供することで、『パナマ文書』問題を目立たなくしようとしてる、とする隠蔽説があります。

 こうした隠蔽説が実しやかに噂されるのも、舛添知事が、まるで絵に描いたような”悪役”ぶりであり、演技がかっているからなのでしょう。仮に、シナリオもなく、火に油を注ぐような発言を繰り返しているとしますと、それもまた、恐ろしいお話です。知事の行動が意識的であれ、無意識であれ、舛添知事に対する凄まじい世論の批判は、今のところは、『パナマ文書』の影を薄くしております。しかしながら、実のところ、舛添知事の一件と『パナマ文書』の問題は、無縁ではないようです。両者とも、公的な責任放棄と私的な利己心が引き起こした点において共通しているからです。そしてそれは、どうやら構造的な問題として日本国のみならず、国際社会をも蝕んでおり、しかも、よく観察しますと、両者の間には関連があるかもしれないのです。確か、舛添知事の夫人は、『パナマ文書』に名の挙がった創価学会の会員であり、知事選でも同教団からの組織的な支援があったと記憶しております。

 仮に、『パナマ文書』隠しのために、”舛添騒動”が裏で演出されていたとしても、国民の多くは、政治家や富裕層の集団的、あるいは、構造的な”不正”や”無責任さ”に対してより敏感になったのではないでしょうか。国民の間に”世直し”を必要とする認識が広がれば、”舛添騒動”は、『パナマ文書』を隠したように見えて、人類救済を意図した同文書の目的に資することになったのではないかと思うのです。

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