時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

象徴天皇と国民側の変化

 戦後の日本国憲法の制定を機に、天皇の地位は国家、並びに、国民の象徴へと変わりました。従来の伝統的慣習を排し、民間から妃を迎えるといった大胆な改革も行われ、皇室の姿も時代と共に変化しています。そして今日、変貌を遂げているのは皇室のみではありません。

 実のところ、国民の側も変化しております。先の天皇陛下のお気持ち公表からしますと、全国、津々浦々を行幸し、自然災害に際しては慰問に率先して出向くのが象徴天皇の最も重要な役割とお考えになられているものと拝察いたします。慰問を受けた被災地などでは、高齢の被災者の方々が、”もったいなくも、ありがたきこと”と、涙を流しながら感激する姿が報じられております。おそらく、今上天皇の代であれば、天皇と国民との間に、こうした関係が自然に成り立つのでしょう。しかしながら、より若い世代になりますと、どうでしょうか。

 特に、次代の天皇となりますと、拝謁に感激し、涙を流す国民はそれほど多くはないかもしれません。戦後の人間宣言により、天皇を神聖視する感覚が薄まり、”マイホーム型”の皇室におきましては、一般人とは変わらない世俗的な姿を国民に見せております。しかも、東宮家につきましては、個人レベルでも、公務怠慢のみならず、スキャンダルめいた噂までネット上に飛び交うのでは、国民の尊敬を集めているとは言い難い状況にあります。こうした状況下にあって、”象徴天皇”が、次世代以降の天皇に務まるのかと申しますと、かなり危ういのではないかと思うのです。

 国民の側にも皇室に対する心の持ちように変化が起きているとしますと、たとえ、全国津々浦々を行幸しても、迎える側の一般の国民も、自治体も、負担にしか感じなくなる可能性もあります(今でさえ、警備や宿泊等に相当の経費と動員を要するらしい…)。時代の流れにあって、皇室と国民の双方に変化が生じているとしますと、今後の皇室のあり方については、若い世代の意向をも踏まえた熟慮が必要なのではないでしょうか。

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