時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”菊のカーテン”の仕組みとは

 皇室報道につきましては、しばしば”菊のカーテン”という言葉が見受けられます。かつて天皇は、人々が直接に拝謁すること叶わず、御簾の中におられました。しかしながら、今日の”菊のカーテン”とは、神聖性ゆえに世俗と隔てる”御簾”とは、違った意味と役割があるようなのです。

 今日でいう”菊のカーテン”とは、マスコミが自由に皇室関係の情報を報道できない状況を意味しており、その主たる役割は情報の遮断です。戦後は、”開かれた皇室”の方針の下で、公務のみならず、皇室の日常生活も報じられるようにはなりましたが、国民が皇室に関する情報を十分に知ることができない状況は続いています。否、むしろ、近年は、報道統制が強まり、マスコミによる北朝鮮風味の礼賛報道が増えた観さえあります。この点は、欧州の王室報道とは雲泥の差があります。厚くなった”菊のカーテン”は、目下、皇室の将来像について国民が考える上で、少なくない影響を与えています。情報が操作され、その量も少ないのであれば、国民は、判断のしようがないからです。

 そこで、まず考えてみるべきは、”菊のカーテン”の仕組みがどうのようになっているのか、ということです。推測され得る仕組みとしては、(1)マスコミが自主規制している、(2)政府が主導して報道を統制している、(3)皇室の側からマスコミに報道統制を要請している、(4)皇室を支えるバックの勢力が資金提供、あるいは、圧力をかけている…などがあげられます。これらの何れでありましても、問題があります。(1)であれば、マスコミによる”報道しない自由”の行使になりますし(国民の知る権利の侵害…)、(2)であれば、政府による検閲問題ともなりかねません。(3)であれば、皇室自身が国民に対して隠し事をしていることになり、信頼性に傷がつきます(マスコミ対策費が公費で賄われているかもしれない…)。また、(4)であっても、直接的ではないにせよ、(3)と同様の懸念があります。

 あらゆる物事について、的確な判断をなすには、十分な情報は欠かせません。今日の情報化時代における”菊のカーテン”は、神聖性を高めるどころか、むしろ、逆方向に国民の疑念と疑惑を増す方向に作用しております(ネット上では、様々な噂が飛び交うことに…)。”菊のカーテン”そのものが、隠し事の存在を示唆するからです。こうした現状を考慮しますと、”菊のカーテン”の仕組みを解明した上でこれを上げ、確かな情報に基づいた国民的議論を行う時が既に来ているように思えるのです。

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